支部長のご挨拶
アロハ、表千家同門会ハワイ支部のウエブサイトヘようこそ。
ここでは、私どもの、活動状況、催し、表千家の伝統また、実習などのご案内を致します。あなたの茶道への興味に有益で良い刺激をの茶道の歴史、哲学、理念与えるものとなります様に願っております。
表千家の茶の伝統に馴染みのない方のごく一般的な疑問は、なぜ茶道を学ぶのかという事かと思います。
1 .一期ー会の意味を体得する事。
2.和敬清寂の茶の精神を日常一般的な生活の中に統合する。
なども一般的な茶道を深く学ぶ事の意味に含まれるかと思います。
このウェブの各セクションをご覧になる事をお勧めします。
茶道の定義の意味合いをお伝えし、あなたの茶の芸術に対する理解度が深まる事でしょう。
伝統のお茶を点てる場面に居合わせると、私はまた違う意味での茶の湯を経験するのです。
ゆるやかな立ち居振る舞い、歩き方、膝の折り方を見る時、また、茶の道具を扱う静かな動き、茶を掬い、湯を注ぎそして茶が点てられ、供された茶を作法に則りそれを口にする時、私は優しさの精神の神髄にふれた様に心を打たれるのです。
私は滑らかな液体の動きの中に優しさを感じ、それを共有します。私は優しい言葉や動きの中に感謝の心を感じさせる所に表千家の茶を学ぶ意義があると思います。
この茶を点てる準備の瞬間点てられた茶を飲むとき、人の人生に於いて再びまみえる事の出来ない機会、一期ー会の世界ではないではないかと思います。
世の中には茶の芸術の様に一つの動きで世界を変える事の出来るものは沢山ありません。
どうぞ、表千家のお茶のページを探検なさってください。
當山 パイパー
表千家同門会米国ハワイ支部 支部長
歴代支部長の紹介
立川 冴 氏
(1955〜1976 在任)
福岡県で生まれる。地元の女学校から東京の美術専門学校に進み、ここで中学校教育の免状を取得し帰郷して、淑徳女学に奉職した。
1911年、ハワイ浄土宗開教助員として来布していた立川眞教師と結婚する。1920年四男を含め一家そろってホノルルへ移る。ホノルルの開教院にはハワイ女学校が付属しており、立川氏は主任として女学校を運営していた。立川眞教師が1925年に亡くなる。
夫の遺骨を納めに日本に帰り、1931年に再びハワイへ戻った立川氏は、ハワイ女学校の教え子達の熱意に動かされて、日本の女学校と同じような教育者として第一歩を始めることとなる。
1931年新しく建てた校舎に茶室を設け、立川中学の学課の一つとして茶道の稽古も始められた。ここで教えた茶道が、ハワイでの表千家茶道教授の最初となる。学校を通して表千家茶道の普及に努め、1955年に設立された表千家同門会ハワイ支部の初代支部長に就任する。
立川氏は、50年にわたってハワイ邦語教育のために努力してきた。1963年2階建ての近代ビルとして新しい私立学校を完成し、ハワイ日本語教育百年の計を打ち立てた。こうしたハワイの日本語教育への貢献が称えられ、1967年に藍綬褒章、1968年に勲六等瑞宝章、1973年には勲五等瑞宝章を授与された。
個人で独立した日本語学校を運営、特に女子教育の分野で大きな功績を残し「ハワイ日本語教育の母」とも呼ばれた。
粟村 徳善 氏
(1976〜1979 在任)
表千家同門会ハワイ支部長であった粟村氏は、米国国会上院議員のダニエルK井上氏の義理の父でもあった。
粟村氏は1898年5月1日に、日本の広島で生まれた。彼は若いころハワイに渡り、15歳にしてマウイのワイルクでサトウキビ畑労働者として働きはじめた。それから2年もしないうちにマウイ島ラハイナのマウイ貿易会社に移り、そこで毎日長時間にわたって働いた上、夜には英語の勉強に励んだ。その後、彼は宝石のセールスマンになりその店で年季奉公を終えた後、1920年にマウイ島のパイアに彼の最初のジュエリー店を開店させた。その9年後、彼はホノルルに平和堂宝石店を開いた。
彼は地域組織で活発に活躍し、表千家以外にも、日本商工会議所の会長も務めており、また日系人連合会、ハワイ経済研究グループの会長も務め上げた。
彼の数々の貢献は評価され、日本の天皇陛下より1968年勲5等瑞宝章を受賞した。
粟村氏は1984年12月26日、86歳でこの世を去った。彼と彼の妻ミツは6人の娘を育て上げた。
平松 太郎吉 氏
(1979〜1986 在任)
明治41年(1908)7月9日、和歌山県に生まれる。
昭和3年香川県立粟島航海学校中退。昭和7年から25年まで建築職人として働き、昭和25年より51年まで平松建築請負業会社の社長を務める。
またハワイ日系人連合協会副会長、ハワイ和歌山県人会会長を歴任し、現在はハワイ明治会理事を務めている。さらにハワイ金比羅神社、太宰府天満宮教団理事長を務め、現在は顧問として奉仕。ハワイ曹洞宗正法寺教団顧問やハワイ出雲大社会員でもある。
なお、昭和54年には立川冴前支部長、当時の粟村徳善支部長の推薦により、表千家同門会ハワイ支部長に就任、昭和61年まで務められ、その功績に対し、昭和61年には名誉会員として表彰された。
平成7年(1995)、ハワイの日系人社会の発展と日系人の地位向上、日本文化の保存普及、さらには日本・ハワイの親善交流に寄与したことにより、勲六等単光旭日章を受賞している。
ジョージ・サダハル 石田 氏
(1986〜1991 在任)
1923年2月9日ホノルル市に生まれる。元ハワイ日系人連合協会会長。
石田氏は、戦後20年間米国陸軍に所属する間に、日本の戦後復興と民主化を支援し、日本国民と在留米軍との友好の増進に寄与した。また軍引退後は、ハワイにおいてコンクリート業界の興隆に寄与し、ひいてはハワイにおける建設産業の発展に貢献した。
氏は、地元社会において数々の活躍を続けたが、特に日系人社会においては永年岡山県人会会長を務め、ハワイ〜岡山地方の親善交流を大幅に促進し、またハワイ日系人連合協会会長として日系人の結束を促進した。さらには、ハワイ明治会初期、オアフ官約移民100年祭の式典委員長、ハワイ日本文化センター理事、日本人移民資料保存会副会長などの役職をつうじてハワイ日系人の文化の保存と普及に寄与し、併せて日系人の社会的経済的地位の向上に貢献するとともに、ハワイ〜日本の親善交流の増進に貢献した。
石田氏は1998年3月1日、永眠された。
吉永 至圭雄 氏
(1991〜1995 在任)
ハワイ日本文化センターの謙志館道場の主幹的役割を果たしてきた吉永氏は、ハワイ日系人社会においても活躍中だが、ことに武道の分野で貢献している。
氏は60年以上にわたって100人以上の若い生徒と高齢の生徒に剣道の技術を教えてきた。そして余暇には1948年以来、彼のもう1つの心血を注ぐ弓道の楽しみ方も教えてきた。
彼は献身的な教師であるばかりでなく、ハワイ剣道連盟と日本人連合協会の会長としても活躍し、指導者としても実力を認められている。
1994年には日本文化と伝統の継承、奨励に対する献身と功績をたたえ、日本より勲五等を授与された。1998年には日本の文化と伝統の継承に特別の努力をしたものに与えられる日本文化センターのTRADI AWARDE(トラディアワード)をシニア部門で受賞している。
マーガレット 小田 氏
(1995〜2014 在任)
ハワイ島、ハカラウ・ワイレアで生まれる。ハワイ大学にて教育学、ミシガン州立大学にて数学専攻文学修士号をおさめた後、ハワイ大学教員養成専科における最初の博士号を取得。1972年には、エール大学におけるアメリカの教育問題についての研究が高く評価され、全米の優れた教育者9人の1人として研究奨学金を得る。
その後はハワイの公立高校で多種にわたる教育に携わり、ヒロ中学副校長、カイザー高校校長、ハワイ州教育局(初等教育)教育長、州議員監督長などを務めた。この教育経験に基づく執筆活動でも、州教育に大きく貢献している。
また地域活動において、クアキニ・ヘルス・システム役員会において初の女性会長に就任。ホノルル美術館、ライマン・ハウス記念博物館、ハワイ私立中学校、セントルイス高校、ワシントンDCのアメリカ日系人記念基金などの評議員、ロサンゼルスにある日系アメリカ人国家博物館副委員長、ハワイ日本─アメリカ協会副会長、そしてホノルル日系婦人会会長も務めている。
こうした社会貢献に対し、ハワイ大学教育学部やハワイ大学卒業生協会、ハワイ公立高校財団から優れた卒業生に贈られる賞、またナショナル・ソサエティー・ファンド・レイジングの基金調達者に大きな功績を挙げたものに対する賞などを受賞。1992年度には天皇陛下より勲四等瑞宝章、日本政府より双光旭日章を受賞している。
三木 信幸 氏
(2015〜2015 在任)
1958年2月20日姫路生まれ。
【教育】
オマハ、ネブラスカのクレイトン大学卒 化学専攻
同クレイトン大学医学部卒
ハワイ大学内科研修
【職業】
内科医
クアキニ病院の経営に副院長として参加
エグゼクティブヘルスプログラムのメディカルディレクターも兼務
三木メディカルクリニック医院長
【その他の活動】
ネブラスカ市名誉市民
ハワイ大学研修医プログラム指導
ハワイ日本語学校ボードチェアー
クアキニ病院医師会顧問
その他多数の地元組織にメンバー、ボードとして参加
當山 パイパー 氏
(2015~ 在任)
パイパー當山はビッグアイランド(ハワイ島)の砂糖キビ農場で生まれ育った。
マサチュセッチュ大学、ノースイースタン大学で英語の学士号と、教育学の修士を取得。ホノカア高校、ヒロ高校、そしてハワイ大学ヒロキャンパスで教鞭を取る。
1990年から2002年まで校長としてカムエラのパーカースクールで奉職、2003年には西半球初の浄土真宗の高校である、ホノルルのパシフィック・ブディスト・アカデミー(PBA)を設立。
アカデミーは専ら生徒の住む地域社会にどのように平和をもたらすかを教え、また海外初の本部・支部・学校協同により表千家茶道を正課とした高等学校でもある。
表千家同門会のハワイ支部長として就任4年間を迎える。家族は妻のルイスと2人の娘、4人の孫がある。
役員のご紹介
支部長
(支部理事長)
當山 パイパー
パシフィック・ブディスト・アカデミー名誉校長
副支部長
(支部理事)
三木 信幸
クアキニ・メディカル・センター副院長
平田 梨花
ファーストハワイアンバンク副社長、ハワイ日系人連合協会会長(2014-2015)、ホノルル日本人商工会議所理事副支部長
支部名誉理事
井上 アイリーン
US-JAPAN COUNCIL(トモダチ作戦)会長、米日協議会会長、日系米国人国立博物館CEO
三木町 宣行
表千家同門会理事長 不審菴常任理事
支部理事
川路 広美
元開教使(本派本願寺寺輪番)
神奴 俊明
竹中工務店ハワイ事業所長
宮崎 ジョイ
弁護士
モース J.H.
パシフィック・ブディスト・アカデミー校長
渡辺 テランス
神父、カトリック司祭(モンシニョール称号)
副支部長
江上 恵子
支部事務長
五十嵐 敦子
支部会計責任者
橋倉 初子
書記
サイニッツ マリア
支部幹事
佐々木 朱美
田辺 雅子
フォング ノーラン
保井 富江
山根 愛子